こんにちは、七尾なおです。
ネットの海をふわふわと漂っていたら、こんな記事を見つけました。
これを、ウンウンとうなずきながら読みました。
爆笑問題の太田さんはお笑いについて語っているのですが、
こうしてweb上に文章を載せる書き手にとっても同じことがいえるなぁ、と。
こういうのアレでしょ。今風にいうと、「ことばが刺さった」ってヤツですよね。
なんといっても、まずは絶対量でしょ
玉を打てるだけ打って、どれか当たればいい。
とくに『新ボキャブラ天国』みたいなのって、お笑いの若手がいっぱい出てて、その中でいかに目立つかが勝負じゃないですか。そうすると、面白いことしか言えないタイプとつまんないことでもガンガン言って、その中に面白いこともいくつか混じってるタイプにわかれるんです。
下手な鉄砲もなんとやら、ってやつですね。
ブログの話でいえば、質か量か?みたいな議論になることがままあるようですが、
この話からいえば「四の五の言わずにまずは書け!」ってことになりますね。ハイ・・・。
書いて書いて、その中で少しでも誰かの目に留まり、
心が動くキッカケになれたらいいな、と。
偉くもないし、芸術でもないし
絶対おもしろいと思って自信持って編集者に出したの。そしたら突っ返されたの。「これは違う」と。「面白いよ。面白いけど、これを疲れたサラリーマンが会社帰りに電車で読みますか?」って言われたの。「読み終わったら駅のゴミ箱に捨てるくらいの、そういうつもりで書いてください」って言われて。それがずーっと俺の中にあるの。
わたしはライターをめざしていて、
そのためにこうして書いています。
どこかで読んだのが、
「自分の書いた文章を『作品』だと自負しているライターは使いづらい」というもの
これはwebライターについて言及したものだったと思うけれど、
太田さんの話ともつながるなぁ、と。
いろいろな人がそこかしこで書いているように、web上に置かれた文章は「きちんと読まれない」傾向が強いんですね。
タイトルを見て、ぱっと開いてみて、興味がわけば最後まで読み込むかもしれないし、長そうだなと思われれば見出しだけを流し見されるかもしれない。
はたまた「やっぱいいや」と速攻でブラウザバックされることも多分にあるわけです。
太田さんが「テレビなんてそもそもそんなもんなんだよ。偉くないの。テレビなんてものは!」と言うように、webコンテンツだってそんなもんなんです。
なんせ、わたしのように何者でもない人間が簡単に表現できる今のご時世ですからね。
だからこそ絶対量がものを言うわけです。
それだけで、誰かのアンテナにひっかかりやすくなりますから。
でもマジメにやらなきゃダメ
だからこそ私は、“真顔”にならざるを得ない。“真剣になることに対して照れる”のは、その照れた姿が様になるのは、本物である人だけだと私は思う。
そんなに量が大切だっていうなら、内容の薄いコンテンツをひたすら量産すれば良いの?
いいえ、決してそんなことはありません。
真顔で、真剣に、真摯に、ことばは何でもいいけれど、
要はいい加減ではいけないんですよ。
そんなものは無様だ、と太田さんは語っています。
小賢しいひとへ向けて
この記事はほかでもない、わたし自身のために書きました。
わたしは小賢しく、ともすると小手先だけの効率化を求めがちだからです。
大切なことはとてもシンプル。
誰かの心に響くものを生み出したいなら、まずはとにかくたくさん世に出すことです。
芸人ならギャグ、物書きなら文章を。
だからといって、薄っぺらいものをばら撒けばいいわけでもないよ、ということなんですね。
シンプルだけど、これはとっても難しいです。
つまり結論は、質より量でも量より質でもない。
量も質もどっちも大事だぞ!ということですからね。わぁ、しんどー!