こんにちは!七尾なおです。
ツイッターを見ていると「はっ、なんか知らない間にみんなで盛り上がってる……!」という悲しみに襲われることがありませんか?あの流れに乗れなかった感じ、しょんぼりしますよね。
でもあえて言おう。タイムラインは追わなくていいんです!
「みんなと一緒でいたい」のしんどさ
個性が大事なんて言われるようになりつつも、やっぱり協調性みたいなものが重視されるのが世の常で。
そうやって育てられると、みんなと一緒にいよう、はみ出さずにいたいと思うようになります。
なるべくまわりと一緒でいたい、同じように振る舞いたい。
それがイイ!というよりは、その方がラクとか、安心っていうニュアンスの方が強いのかな。
とにかく、自分のいないところでみんなが共通の話題で盛り上がっていようものなら、さあ大変!
「タイムラインをしっかり追わなきゃ」
「みんなの話についていけるようにしなきゃ」
って焦ってしまいます。
わたしも昔はそうでした。
育児系のアカウントでツイッターをしょっちゅうチェックしていた頃、相互フォローしていたのは同じ時期に妊婦をやって、同じ時期に子どもを産んだママ達ばかり。
会ったことも顔を見たこともないけれど、みんなが同志で、仲間で、友達みたいな、そんな感覚でした。
ところがツイッターなんてしょっちゅうチェックしていられませんよね。
当時フォローし合っていた人達は第一子のママが多くて、わたしは第二子の出産でした。
ちょっと温度差や、生活のリズムも違っていたんです。
そして何より、わたしってばあんまり女同士で密に関わるのが得意じゃなかったんですよね。
それで昔からちょっと浮きがちで……って、そんな話は今はどうでもよろしいですが。
まぁとにかく、追いついていけなくなってきました。
そうすると、なんだか仲間はずれになったような、なんとも言えない気持ちになったりもして……。
でもいつからか、タイムラインを必死に追うのはやめました。
だって追えないし、そうまでして追いたいとも思ってない自分に気がついたから。
ツイッターは川である
いつだったか、「ツイッターは川なんですよ」と言われたことがあります。
そのときはたしか、ツイッターに愚痴を垂れ流してごめんなさい。
みたいなつぶやきをしていたんだったかなぁ。
深夜、その情けないつぶやきを拾ってくれたある人が、「気にしなくていい。ツイッターは川なのだから。すべてを流してくれるものだから」と言ってくれました。
あのとき、わたしはすごく救われたような気がしたんですね。
いまはライターとして、実名ではないにしろリアルにかなり近い部分でツイッターを使っているので、さすがにそうはいかないですけどね。
当時は匿名アカウントだったし、そこでしか弱音を吐けなかったのです。
だからとっても嬉しかった。
ツイッターは川なのです。
川の流れをせき止めることはできないし、しちゃいけない。
流れていったものは、自然のままにしておけばいいのだと、わたしはそう思っています。
もちろん、好きでタイムラインを追うのは止めません。
おもしろそうな話だから、ぜひ知っておきたい!という理由なら健全だし、いいと思う。
でも「みんなの輪に入りたいから」という理由で、必死に誰かのあとを追いかけるのはやめた方がいい。
たぶん精神的に疲れちゃうから。
ツイッターは一期一会である
川、というのと少し似ているけれど、こっちも好き。
ツイッターは一期一会なんです。
これもツイッターで以前フォロワーさんが言っていたのをチラッと見かけたのだけど、「あぁいいな、素敵だな」と思いました。
流れてしまうものだからこそ、そこでたまたま目にしたツイートには意味があり、何かにつながっていくのだと考えると、刹那的なタイムラインもちょっと情緒的ではないですか?
一瞬一瞬の、ご縁を大事にしたいものですね。
タイムラインは追わない。流れに身を任せて健全に楽しむのだ!
ということで、主にツイッターのタイムラインについて思うことをつらつらと述べました。
・追いたくて追うのはOK
・追わなきゃいけない……!という義務感で追うのはNG
それが清く正しい使い方かなと、そう思うわけです。
おしまいー!