親孝行、してる?元気なうちにたくさん話しておいた方がいいよ

メンタル・考え方

こんにちは!七尾なおです。

「親孝行」について、ちょっと思うことがあったので筆を取りました。……もとい、キーボードをたたきました。

わたしが定期的に考えるコトで、オチもなにもないんだけど、よかったら読んでいってね。

ブログは人生のログである

もともと無料ブログで書いていたときは、『見せ方』とかまったく考えずにつらつらと書いていました。

ブログを立ち上げたときはライターですらなくて、ライターに憧れているだけのただの兼業主婦だったんで、それでも全然OKだったんですよね。

でもいつしか、そのとき使っていたペンネームがライターネームとなり、顔も晒しちゃって、匿名性なんてほとんど残ってない。

 

そんなタイミングで立ち上げたこのブログは、もう完全にビジネス!と割り切って書こうと決めていました。

なので、ヘタなことは書くまい!と。

 

でも、これはブログ。ブログとは人生のログである……ということを、ふと思い出したんですよね。

というわけで、もう少し好き勝手に書いていこうかな?と方向転換を試みることにしました。

 

で、そこで「親孝行」ですよ。

 

孝行したいときに親はなし

 

わたしの母は30代で亡くなりました。

当時わたしは中学生で、反抗期ってほどじゃなかったけど、親と一緒にいるのがなんとなくはずかしい……みたいな年頃だったんです。

最後にした会話も覚えていません。ケンカしてたわけではなかった……と思うけど。

 

自分が母親になってみて、当時の母の気持ちもなんとなくわかるような、そう思えるようになりました。

でも、それを笑って言い合える母はもういません。

 

そばに母親がいたら、どう言っただろう?どう思っただろう?

そう感じることも多いですが、たずねることはできません。

 

義母への「母の日プレゼント」を選びながら、カーネーションを送った幼い日のことを思い出します。

花くらいで大泣きしていた母が理解できなかったけれど、今子ども達にやられたらやっぱりわたしも泣くかもしれないな、と思うんです。

 

最後に両親に会ったのはいつですか?

大人になると、年に数えるくらいしか親の顔を見られないって人も多いかもしれないですね。

みんな忙しいから、仕方ないよね。

 

でも親孝行ができるのは、親が元気なうちだけです。

病気になってから「旅行に連れてってやればよかった」と思っても、遅い。

死んでしまってから「もっとたくさん話せばよかった」と思っても、遅い。

 

GWはどこもいっぱいだから、時期をずらしてもいいと思うけど。

ときどきは顔を見せに帰ってあげてくださいね。

 

……と、親を早くに亡くした子どもとしては、思うのでした(●´ω`●)